代表コラム president column

第75回 「世界に届く物語①」

 令和8年6月19日、水戸商工会議所は創立130周年を迎える。その記念事業に向けての第1回実行委員会が4月23日に開催された。基本コンセプトは『ミト・チャレンジ130周年』、スローガンは『世界に届く物語を創ろう』。偕楽園を中心とした千波湖周辺地域大規模公園を世界三大都市型公園として位置付け、その宣言を通じ新たな価値創造を目指す内藤会頭の熱い思いが込められている。
 世界に届く物語。この言葉にはさまざまな意味があろう。世界に伝わる。世界に通用する。世界からその価値が評価される。そして、世界が感動する物語。

水戸の物語と千波湖
 世界に届く物語の中心には、水戸市民の暮らしに寄り添う千波湖があるはずだ。千波湖は水戸の歴史とともにある。千波湖は本来、那珂川に注ぐ桜川の一部で、那珂川の氾濫によってその河口部がせき止められ、その結果としてできた大きな水溜まり・堰止湖である。
 江戸時代以降の歴史の中では、水戸藩が城下町の整備のため沼地を護岸で囲い込んだことにより、湖沼「千波湖」が成立した。初代藩主徳川頼房公が上市と下市の交通の便を考え、千波湖の中に土を運んで柳堤(二代藩主徳川光圀公が暑さをしのぐ柳の木を提に植えたので「柳堤」の名が付いた)を造らせた。幕末以降は偕楽園の借景としての価値を持ち、水戸八景の一つにも選ばれている(僊湖暮雪)。

水戸の街の象徴
 戦争中には埋め立てられて水田として使われた時期もあった。しかし戦後、元の湖に姿を戻し、南部の千波台地の開発・都市化が進展すると、もともと水戸の中心街の南のはずれにあった千波湖は、中心街と千波の住宅地に挟まれた、水戸の街のど真ん中に鎮座する水と緑の大自然となった。大規模な都市型公園の誕生である。そして、水の都を自負する水戸の街のシンボル・象徴となった。
 自然発生的に、また街の発達とともに形成された大きな都市型公園。その中心にある千波湖には、自然と歴史と街が織りなす壮大な物語があったのである。

(つづく)

▲常陸國水戸城絵図の中の千波湖

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