代表コラム president column

第79回 「景観まちづくりの作法②」

●公共財としての景観
 景観とは、人々の営みの結果として形成されたものであることは既に述べたが、それは市民共有の大切な財産、つまりは公共財でもある。だから、景観に関して身勝手は許されない。日本国憲法には「国民の権利は、公共の福祉に反しない限り、尊重」とある。公共財である美しい景観、風景を壊す行為について、そんな自由は憲法では保証されていない。身勝手な行為は、品がない、と見なされ、その結果としての景観は下品になる。私たちには「景観まちづくりの作法」として、良い景観を守り育てる責任と義務がある。
 このような意味から、景観は地域の人々の品格や美意識を表す。その地域の暮らし、産業、教育、思想、風土の結果として表れる文化度を示す。
もっとも、人の感性には個人差があるので、景観の良し悪しの判断は難しい。それでも、目に見える景観や風景に対する「違和感」には共通するところが多い。当たり前のところに当たり前のモノがある。デザイン、色彩、素材などの面で違和感がない。それが公共財としての美しい景観であろう。悪い景観は、その地域に住む多くの人が「それって、ないよね」とか「ちょっと変だね」と感じる景観である。

●日本人の品格、美意識
 当たり前のこととしての「景観まちづくりの作法」を、多くの市民が共通認識として受け入れるために、つまり、景観についての規制を「権利の侵害」と感じないためには、意識改革が必要だ。
 日本国内の景観が著しく品のないものになったのは、実は戦後のことだ。戦前の日本国民には高い品格と美意識が浸透していて、その結果として美しい景観が保たれていた。
 例えば江戸時代。歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」や「名所江戸百景」に描かれる風景は、どれも美しい。幕末から明治にかけて、多くの欧米人が江戸の街並みを始めとする日本の当時の様子を写真に収めているが、そこに映し出されている風景も美しい。19世紀の大英帝国の旅行家で紀行作家イザベラ・バードの「日本奥地紀行」には、新潟については「町は美しいほどに清潔。よく掃き清められた街路を泥靴で歩くのは気がひけるほど」、米沢については「美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地域。どこを見渡しても豊かで美しい農村」などと記している。
 これらから当時の日本人の品格、美意識が見て取れる。このような国民性から、当時世界で最も美しいと言われた江戸の町並み、モノトーンの墨絵の世界は生まれた。実は今でも、そのような美しさは、日本の農村集落に残っている。その土地の風土にマッチした風景である。現代日本の街角の風景は、それぞれが個性を主張し過ぎていて、戦前の面影はない。戦後80年の身勝手さによって失われた。私たちは、私たち日本人の持つ素晴らしい国民性を、改めて意識する必要がある。

(つづく)

▲イザベラバード「日本奥地紀行」より

▲名所江戸百景「上野」

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