第80回 「景観まちづくりの作法③」
●公共性と個性、地域の価値
景観について、改めてその公共性と個性について考えてみる。
一つひとつの建造物などが個性を主張し過ぎると、地域の暮らしや風土に根ざした個性、地域らしさ、つまりはエリアとしての公的な個性が失われる。一人ひとりがちょっと我慢しルールを守ることで、地域のデザイン、色彩、素材などの個性が光り、それによって地域全体の価値が高まる。これが公共性の基本である。
つまり公共性とは、ルールや規制を作り、我慢すること。皆が我慢する、ルールを守ることで、地域の個性を守り育て、価値が高まり、皆が得をする。この仕組みが公共性で、地域づくりの基本である。
でも困った問題として、自由でもいいでしょう?という意見がある。「自分勝手にやりたい!自由にやりたい!」。しかしそれは、地域としての価値を低下させる。個性的(身勝手)な建造物が街並みを壊し、エリアとしての街の個性、価値を台無しにする。これは、公共の福祉に反する。
欧州のルールは厳しいが、その結果として美しい街並みが現出している。
●広告看板の規制
景観まちづくりに大切なのは、ルールである。景観に関する現場対応は建築行政であるが、基礎となる方向性を定めるのは都市計画であり、その中の景観行政である。戦後80年も放置した結果が現在の品のない景観、風景であるが、過去のことはともかく、これからのことを考えよう。
まずは広告看板をやめること。これは、上品な街に化ける一番簡単な方法である。一言で看板と言っても、広告看板と案内看板とがある。営業目的の看板が広告看板で、必要最低限の案内目的のサインは案内看板だ。欧州の街かどで目にするのは案内看板だけ。広告看板があるのは店の真正面のみ。ホテルと病院の看板はあるが、これは旅行者にとって必要不可欠なものであって、例外だ。広告看板がない分、その街が本来有する個性が光っている。だから、広告看板がないだけで観光客は集まる。欧州の街のみならず、日本の黒川温泉なども良い例だ。建物の改築もできない周回遅れのひなびた温泉街であったが、その分、昔ながらの風情が残っていた。広告看板を外したことで個性が際立ち、価値が高まり、一躍脚光を浴びた。
基本的にはどんな地域にも素晴らしい資源、素晴らしい個性があるものだが、広告看板がそれを邪魔している。自分だけ目立とう、自分だけ得をしよう、といった考えが、自身をも含めた地域全体の価値を損なっている。それぞれの我慢、全体のための意識、行動が大切である。
参考まで、日本でも広告看板のないエリアがある。それは、駅や空港の中。サインはあるが、広告看板は店の真正面にしかない。それでも必要十分で、誰も困らない。もっとも、駅や空港の中に個性はなく、欧州の街かどの風景とは違って、無味乾燥である。
(つづく)


▲黒川温泉